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小論文ネット講座 書き方編 第2講-3 

「下書き&構想法」第1段階:課題文を読みながら、課題文にツッコミを入れる  続き2

 さて、前回の続きです。前回をじっくり読んでから、この講を読んで下さいね。

 改めて、課題文はこれでしたね。

タイトル 「携帯使いすぎ注意」

 友達と話していて感じるのは、携帯電話の使いすぎではないかということです。夜中までメールをしていたという話も聞くし、休み時間に携帯でゲームをしている人も多い。ちょっとおかしいと思います。

 僕自身、携帯は持っていますし、便利には違いないと思います。学校の友達と毎日メールしたり、学校に来てまでゲームをしたりする必要はないと思うのです。直接会って話せばいいし、ゲームは家でやればいい。使いすぎていないか、本人が意識することが必要だと思います。

(以上)


 まず、前回のまとめをざっとしておきます。この課題文を批判する小論文を書くには、単にこの文章の説明不足な点を批判するだけでは足りず、例えば、現代の中高生に広まっていると思われる「依存」の問題について、自分なりに具体化して考える必要があるということでした。なぜなら、この課題文の筆者(本当は新聞への投稿者ですが)も、こういう主旨の主張を書くということは、ゲームや携帯電話の持つ「依存」という問題を感じたからであろうと推測できるからです。こういうことに気づけたのは、具体化という作業のおかげでした。

 

§1 なぜケータイメールに依存してしまうのか?と考える

 さて、ここでは、前回までの、こういう考えをふまえて、携帯電話、特にメール機能についての「依存」の問題を考えてみたいと思います。これもしつこいですが、とにかくポイントは「具体化」です。具体化をしなければ、小論文はただでさえ「机上の空論」で終わるような答案が多いのに、なおさら「思いつき」だけの小論文しか書けなくなってしまいますから。

 また、携帯電話のメールは、「ケータイメール」と言い換えておきましょう。語感としても、「携帯」よりも「ケータイ」のほうが、より日常的なものとしてなじんでいる生徒さんも多いでしょうから。

 「ケータイメールへの依存」とはどういうことか、みなさんは自力で具体化することができますか?自分自身が、実際にケータイメールに依存している状態を、できるだけ具体的に想像してみて下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 他にも答えはあると思いますが、私が具体化する「ケータイメールへの依存」とは、

「メールをもらったら、すぐに返さないと居心地が悪い」という感覚があるせいで、朝から寝る前まで、「メールを返していない」という状態をできるだけなくすために、いつも必死にメールをチェックしている状態

です。世代がばれてしまいますが、私が以前、学生時代に家庭教師をやっていたときは、「ポケベル」というものが大流行しました。ケータイのように、そのポケベルそれぞれに番号が割り当てられてはいるのですが、ケータイとは違い、電話が来ると、そのポケベルという「やや厚めのカードのようなもの」がピロピロ鳴るだけで、応答はできないのです。そして、そのカードのようなポケベルの表面には、数字やカタカナが2~3行ほど表示できたと思います。私は結局持ちませんでしたが。

 私が学生時代に家庭教師をしていたときに、ポケベルが鳴ると、教えている途中にもかかわらず、

「先生、ちょっと待って下さい!」

と言っては、ポケベルに返信するために、家の電話へ向かってダッシュする女子高生が一人いたことを、今でも覚えています。ポケベルに返信するためには、近くの電話を使わなければならないのです。ポケベルに表示される「数字やカタカナ」は、電話から、0~9の数字を使って、あたかも暗号のように送られていました。この、ポケベル大流行のあと、数年も経たないうちに、今度はPHSや携帯電話が一気に全世代に浸透したので、今ではポケベルサービスは、ごく一部の分野を除き、全て終了したようです。この女子高生は、完全にポケベル依存の状態に陥っていたのでしょう。

 この女子高生と同じように、起きてすぐでも、休み時間になっても、学校や予備校の自習室で勉強中でも、寝る前でも、ケータイメールをチェックしないと気が済まない状態を「ケータイメールへの依存」と定義すると、こういう依存状態が生じるのは、

・メールが来たらすぐに返さなきゃ!

という気持ちが強くあるからであろうと推測できるわけです。

 

※この推測のプロセスの中で、私は、自分自身の学生時代という「自分の経験」を「知識」として使ったわけです。このように、自分自身の経験を、小論文の下書きにおいて、「知識」として積極的に利用することの重要性は、基礎編の第8講に熱く書いたつもりなので、忘れた方はぜひまた読んで下さいね。今にして思えば、あの女子高生の行動は、私に対する遠回しの拒絶感、嫌悪感だったのかも知れませんが、考える材料としては十分に使えます。心に引っかかっていることは、とにかく何でも「考える」材料にできるのですよ!(苦笑)

 

※ここまで、「ケータイメールへ依存することへの問題点」を、徹底的に「具体化」しながら考えてきました。


 

 話を元に戻しましょう。イメージとしては、ここまで、徹底的に「具体化」して考えてきたことを、今度は「まとめる」ような気持ちで考えていきます。「メールが来たらすぐに返さなきゃ!」と感じるとすれば、それはなぜですか?それは、

1 「メールをすぐに返さないと、『その相手のことを軽く見ていると、相手が思うかも知れない』と自分が思うかも知れない」からでしょう。つまりこれも、前の講に書いた「空気」の問題を大きく含んでおり、

2 根拠はよくわからないが、「メールが来たらすぐに返すのが『礼儀だ』という『空気』ができているような気がすると、メール利用者はいつもメールをチェックし、メールが来てたらすぐに返さなければならないという気持ちにとりつかれてしまう」

と言えそうです。

 なぜなら、もしそういう気持ちがなければ、メールが来てもすぐ返そうと思うかどうかは「そのメール自体の緊急度と、そのときの気分しだい」なわけで、そういう気持ちでメールを使っている人は、メールをチェックするのも「1日に2~3回程度(私基準)」となり、決して「いつもメールをチェックしている」という姿にはならないと推測できるからです。百歩ゆずって、いつもメールをチェックするだけなら、ケータイを開いて2,3回ボタンを押すだけで済むので、この筆者にとっても、そういう友達の姿を見ても、「携帯の使いすぎ」という認識には至らないでしょう。この筆者が、友達に対して「友達は携帯を使いすぎている」という認識を持つからには、その友達が、ケータイのボタンを2,3回押すだけということはないであろうと、こう推測できるわけです。ということは、この筆者は、ケータイメールをチェックするだけでなく、そこで慌てて返信までしている友達の姿を何度も見ているのだろうと推測できます。

 だとすると、「ケータイメール依存現象」のポイントは、やはりこれも「空気」というものであり、その「空気」の内容とは、

・相手からメールが来たら、すぐに返すのが「礼儀」、または「友好的である印」なのだ。

というものであると言えるでしょう。では、この「空気」とは、どのくらい、その友人たちの間では合理的(理にかなっている)と言えるのでしょうか。←このように、一度まとめた後に、そのことを掘り下げて考えるために、さらに具体化をしていきます。しつこいですが、「考えるとは、具体化すること」なのですよ!!

 

§2 その「空気(暗黙のルール)」が、どのくらい理にかなっているかを考える

 これも、少し具体化して考えればわかることですが、ある集団の中で、「相手からメールが来たらすぐに返すのがルール」的な「空気」ができあがってしまうと、誰かが誰かにメールを送ったが最後、玉つき状態のように、「受信した人がすぐに相手にメールを返信する」という現象が連鎖して生じることになります。そのうちに、「メールの返信内容」よりも、「すぐ返したかどうか」という「返答までの時間」が友達としての絆の深さを表すモノサシとして重要とされるようになり、メールを返す方は、メールの内容をじっくり吟味する余裕も時間もなくなっていきます。

相手から来たメールへの返答の早さが「友情の度合い」を示す「尺度」「モノサシ」のようなものになってしまっている(このようなモノサシのことを、「バロメーター」と言います)。

 さらに、その人が、同じ「空気(ルール)」を持つ複数の集団に所属しているとすると、この「メールの素早い返し合い」は、ますます増えることになります。その結果、1日のうちに、何十通もメールを返し合う割には、内容のあるメールがいっこうに増えないという困った状態になります。なぜなら、そういう状態に陥ってしまうと、メールを一回返す時に、じっくりその内容を考える時間も余裕もなくなってしまうのですから。こうなってしまうと、ケータイメールの返し合いは、単なる「時間のムダ」なだけでなく、勉強など、何かに集中して取り組むときには、きわめて邪魔なものになってしまいます。私自身が受験生の時代に、ポケベルやケータイメールがなくて、本当に良かったと思います。

 ですから、この課題文の筆者にツッコミを入れるのであれば、もし筆者が、携帯電話のメール、すなわち「ケータイメール」の「素早い返し合い」という状況まで想像し、そういう状況を作り出している「暗黙のルール」あるいは「空気」の存在を批判するというところまで語れていれば、説得力のある主張になるのに、とまとめることができそうです。

 これを、文章ではない、下書きの形に変えると、例えばこうなるでしょう。


★下書き例

ケータイメールをなぜいつもチェックする? ← 不安 ← なぜ? ← メールが来てたら返さないと不安になるから ← なぜ? ← そういう「空気」がある ← でもそんな空気は意味がない ← なぜなら、ただ返信の回数だけが増えるから

 

 たったこれだけの「下書き」をするだけでも、頭の中では、このくらいいろいろなことを「具体的」に考えまくるわけです(ちなみにこの講、ここまででもすでに3000字を越えています。前の講は、合計で6000字を越えています。たった数百字の文章に対して、丁寧に書くと1万字弱も必要になるくらい、いろいろなことを自分の頭の中をかき回して考えるのです)。また、こういう作業の中で、

・自分の持つ「具体化」力(頭の中で、さまざまなことを実験することでもあるので、こういう作業を「思考実験」とも言います)

・その具体化のための、自分の「経験の量」(経験値とも言えるでしょう)

・それに伴う、自分の「知識の量」(知識値とも言えるでしょう)

これらが試され、なおかつ鍛えられるわけです。

 小論文の下書きの第一段階では、こういう作業(思考実験)を必死に行いながら、できれば、自分が「知りたくなったこと」をメモとして書き、インターネット検索などを使って、その「知りたくなったこと」について検索をして、知識をそのつど仕入れるような習慣をつければ、これも基礎編第8講で述べたように、自分の好奇心が、自然と知識を得るためのエンジンとなるような、理想的な「知識の仕入れ方」が実践できるようになるわけです。

 

 以上、第2講は、かなり長くなってしまいました。ここまでのことをまとめます。

 

第2講 「下書き&構想法 第1段階」まとめ

大前提:下書きは、文や文章の形ではなく、あくまでも「箇条書き、あるいは断片的な言葉」で行う。文や文章の形で下書きしてしまうと、本番の答案と変わらなくなってしまい、下書きの意味がなくなる。

① 課題文があるときは、その課題文が問題としている状況を、自分の頭の中でできるだけ具体化する。そこに問題はあるのかないのか、問題があるとすればどのような問題があるのかを、いろいろな状況を想像しながら考える。これを、「思考実験する」と言う。

② 思考実験をしながら、「ここまでのことは、要するにこういうことだな」と、適宜まとめていく。これを、「一般化する」と言う。

③ 「具体化」あるいは「思考実験」と、「一般化」あるいは「反論予想」を交互に繰り返す中で、できるだけ、自分が想定している読者から反論されにくい主張(最終的結論)を見つける。

④ 入試本番を想定した演習ではなく、小論文の実力そのものをつけたいなら、そこで煮詰まったところをメモ書きし、インターネット検索などで、自分の知識が足りないところ、自分が知りたくなったことをどんどん調べ、ほしい情報が見つかったら、そのページを保存するなり、書き写すなりして、自分用の「知識のデータベース」を少しずつ増やしていく。もちろん、インターネットだけでなく、図書館で本を借りたり、書店で関係しそうな本を買って読むのもかまわない。しかし、他科目の勉強もあるので、くれぐれも「時間のかけ過ぎ」には注意しよう。

 

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