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小論文ネット講座 書き方編 第2講-2 

「下書き&構想法」第1段階:課題文を読みながら、課題文にツッコミを入れる  続き1

 

 まず、課題文はこれでしたね。

タイトル 「携帯使いすぎ注意」

 友達と話していて感じるのは、携帯電話の使いすぎではないかということです。夜中までメールをしていたという話も聞くし、休み時間に携帯でゲームをしている人も多い。ちょっとおかしいと思います。

 僕自身、携帯電話は持っていますし、便利には違いないと思います。学校の友達と毎日メールしたり、学校に来てまでゲームをしたりする必要はないと思うのです。直接会って話せばいいし、ゲームは家でやればいい。使いすぎていないか、本人が意識することが必要だと思います。

(以上)

 

§1 とにかくツッコミを入れまくる

 

 ツッコミを入れるポイントは、「とにかく曖昧(あいまい)なところに対して疑問を持つ」ことです。この課題文において、筆者は「友達は携帯電話を使いすぎている」という主張を持っており、その理由として、

・夜中までメールをしている。
・休み時間に携帯電話でゲームをしている人も多い。

という事柄を第1段落で挙げています。

 そこでツッコミを入れます。例えば、

・「夜中まで」とはいつなのか?夜10時までならいいのか、深夜0時までならダメなのか、深夜2時までならダメなのか。

・休み時間に携帯電話でゲームをしている人が多いというが、具体的にはあなたの友人の何割くらいなのか。

などです。

 さらに、今までのレクチャーで一生懸命強調してきた「状況を具体化して考えよう」というポイントが加わります。すると、こういうツッコミも可能になります。

・夜中「まで」ではなく、勉強などの合間に短時間メールを送受信することはダメなのか。

 さらに、「筆者の主張」そのものにツッコミを入れることも可能です。

・携帯電話を使いすぎると、何が良くないのか?この筆者はそれを説明していない。

・使い「すぎ」と言っているが、ではどのくらいなら使い「すぎ」ではないのか?これも筆者は述べていない。

・「ちょっとおかしい」というのは、何がどのようにおかしいのか。

 

 第2段落に対しても、同様にツッコミを入れることができます。

・「学校の友達と毎日メールしたり、学校に来てまでゲームをしたりする必要はない」のはなぜか。

・「直接会って話せばいい」と言っているが、それと同じように、携帯電話でメールしても「いい」はずだ。直接会って話すのは良くて、携帯電話でメールすることが良くない理由は何か。

・「ゲームは家でやればいい」と言っているが、ケータイゲームを家で夜遅くまでやることはいいと思っているのか、悪いと思っているのか。(メールについては、第1段落で、「夜中までメールをしていたという話」を「ちょっとおかしい」と判断している。)

・「使いすぎていないか、本人が意識することが必要」と言っているが、使い「すぎ」となるのは、一日何時間、何分までなのか。

・同じく、「使いすぎていないか、本人が意識することが必要」と言っているが、使いすぎていることを本人が意識することなど、本当にできるのか?楽しくて、没頭しているから「つい使いすぎている」のではないか?

 

 

§2 実際には、もっと短く書く工夫を

 

 以上、ここまでだけでも10個もの「ツッコミ」を入れることができました。前の講で、「下書きは文章の形にするな」と言っているので、これらのツッコミも、本当はこれらのように、誰が読んでもわかるような形でなくてかまいません。むしろ短く、すぐに書けるような日本語を工夫してみましょう。例えば、

<実際の「ツッコミ下書き」例>1

・「夜中まで」→何時まで?
・多い→何割?
・なぜ直接連絡する方がいいと?メールでも良いのでは?
・そもそも「使いすぎ」→基準は?

 このように、"「課題文に書かれていること」→(やじるし)「ツッコミ」"という形で書くようにすれば、ごく短時間でツッコミを入れ、それをメモとして残すことが楽になるでしょう。

 

 

§3 課題文に反論していいのか?(白河、「空気」についても語る)

 

 さて、このように、できるだけ短い日本語で、課題文の曖昧なところを中心にツッコミを入れていくことで、自分が小論文として書こうとする「自分の意見」の、基本的な方針が見えてくると思います。それはすなわち、

「筆者の主張は基準が曖昧である。携帯電話を使いすぎというのであれば、どのくらいなら使いすぎではないのか、そしてその理由を明らかにすべきだ。」

というものです。特に、課題文の筆者が、何かを主張しておきながら、その主張の基準が曖昧な場合は、こういう反論が、小論文の基本的な結論としてかなり有効です。

 ここも生徒さんからの質問に多いのですが、こういう厳しいツッコミを課題文に対して入れること自体が、自分が反抗的な性格であることを読者に見せているような気がして、なんとなく採点者から「ネガティブな印象」を持たれるかも・・・それでもいいのですか?ということです。その結果、小論文としても、他人より厳しく採点されると困るなあ・・・という感覚です。ハッキリ言いましょう。

いいんです!!!

 そういう言葉づかいや頭の使い方のモードは、普段、友人の中で生活していて「お互いの空気を読む」というようなモードであって、小論文で必要な「思考のモード」とは全く異なるのです。ですから、課題文に反論するような人間が「反抗的」だとか、課題文に賛成するような人間だから「すなお」であるという発想で、大学の先生はみなさんの小論文を読みません!!

 逆に言えば、みなさんは、普段の生活の中で、友人たちと「空気」などという、得体も基準もわからないものを読もうとしすぎているのです。相手が言っていることの中でわからないことがあれば、素直に、ストレートに

「今言ってた○○って何?」

と聞けるくらいであることが、私から言わせれば「お互いに信頼感ができている友人関係」であると思うのですが、どうやら今の子どもたちは、わからないことでも、「空気」的に、それを聞かないことが「かっこいい」とか「空気が読めている」などと表現する「文化らしきもの」を自然と作っているようです。まあハッキリ言って、「空気」なるものを作り、守ろうとする「文化」は、言葉を使いこなせない、頭が悪い集団に特有のものなのですが。

 「空気」などという言葉を流行させて得をするのは、その集団の中のいわゆる「ガキ大将」「リーダー」だけです。リーダーが望む行動を、自分がいちいち言わなくても「部下」が率先して行うようにするために、リーダーが気にくわない行動を取った人間に対して、リーダーが

「お前、空気読めよ」

とか

「お前、KYだな」

と言っていれば、その「部下(周りの人たち)」は、次からは率先してリーダーの求めていることを先回りして行動するようになるでしょう。したがって、「空気」という言葉は、「権力が相対的に強い者」が「権力が相対的に弱い者」を都合良く支配するための「装置」作りの言葉に過ぎないのです。

 その証拠に、あなたの友人の中で、「こいつはオレより『格下』だな」と思っている人が、あるときいきなり

「お前そこは空気読めよ」

と言っても、あなたはその人のその発言を真に受けないどころか、笑いさえするでしょう。

「お前が『空気読め』なんて言うな」

と思うからです。そのあなたの反応自体が、「空気」という言葉が、お互いの「権力関係(強い者と弱い者の間の関係)」を形作る「装置」として働いている、動かぬ証拠です。 さらに言えば、友人に「格上」「格下」などの「格付け」を無意識に行っているということについても、一度はじっくりと考えてみてほしいことではありますが。

 

 ということは、小論文という科目において、推薦だろうが一般だろうが、「私はこの大学に入りたいので、この大学の出す課題文の筆者様がおっしゃっていることには全て従います。それが『空気が読める』ってことですよね?」などという気持ちで「小論文」を書くこと自体が、出題者とその大学に対して、むしろ逆に失礼な態度だということをみなさんは知る必要があるのです。だからこそ、この講座の基礎編でも、

・大学入試の小論文は、大学に入ってから書かされる「論文」を小さくしたもの
・小論文の読者は、あなたの言葉の定義には厳しい

というメッセージを繰り返してきたのです。すなわち、大学に入ってからの「学問」の世界では、

・その理由(根拠)に自信さえあれば、どのような主張をしてもかまわない

という前提が、大学の教員たちの間で共有されているということを、小論文を学ぶ全ての人に知ってほしいのです。

 ゆえに、そういう世界においては、重要なのは「主張の理由」であって、「主張自体が『空気』とやらを読めているかどうか」では全然ないのです(理由がきわめて重要であることは言うまでもありませんよ!!)。

 

 少し長くなりましたが、「課題文や問題にガンガンにツッコミを入れること、すなわち、まずは課題文を徹底的に疑ってみることは、何も悪いことではない」ということがおわかりいただけましたか?課題文が出てきたら、小論文を書こうとする私たちは、何の遠慮もなくツッコミを入れていいのです。ただし、その入れたツッコミが正しいということに関して、今度は私たち自身が説明をしなければならないのですが。

 

 

§4 ツッコミの入れっぱなしもダメ。「じゃあどうするの?じゃあどうなの?」と自分に問いかけよ

 

 さて、先ほど挙げた「自分の意見の基本的な方針」は

「筆者の主張は基準が曖昧である。携帯電話を使いすぎというのであれば、どのくらいなら使いすぎではないのか、そしてその理由を明らかにすべきだ。」

でした。次に私たちが考えなければならないことは、これを自分の意見、あるいは最終的な結論としていいのかということです。

 しつこいですが、「空気的」に、あるいは「道徳的」に、自分の意見としていいのかということをここで私が問題にしているわけではありません。この意見を結論にして、読者からの反論に耐えうるように肉づけすること(=フォローすること)が可能かということです。

 このことを検証するために、今度は、この自分の意見に対して、自分自身でツッコミを入れていく作業が必要になります。前の講の§5でまとめた<下書き法 第1段階>の⑥と⑦にあたる作業がこれになります。もう一度ここに貼っておきましょう。

 

<下書き法 第1段階 「課題文にツッコミを入れる」>(抜粋)
⑥ 課題文を批判的に、ツッコミを入れながら読むと同時に、「じゃあどうすればいいのか?」と自分に問いかけ、その答えも書く。
⑦ ⑤と⑥を行ったり来たりしながら、「この結論なら、読者からのツッコミにも耐えうる結論だ」というものを見いだす。

 

 例えばこういうことです。筆者の言う「携帯電話の使いすぎ」の基準がいくら曖昧だからと言って、では私たちは、携帯の使いすぎというテーマそのものを考えなくて良いのか?ということです。

 もっと一般化して考えると、基準が曖昧なものは全て考える必要がないことなのか?とも言えます。これも具体化してみると、必ずしもそうとは言えないことがわかると思います。

 例えば「高校生のテレビの見すぎ」という問題です。高校生がどのくらいテレビを見てもかまわないかという基準は、携帯電話と同じくらい曖昧でしょうが、だからと言って、高校生が見たいだけテレビを見てもかまわない、という結論や主張が正しいとは思えないはずです。さらに具体化すれば、例えば、高校生が見たいだけテレビを見ることによって、睡眠時間が少なくなったり、なにより高校生の「本業」であるはずの「勉強」をやる時間が減ってしまうからです。最悪の場合、テレビを朝までかじりついて見続けることで、その後寝ないで高校に行くことが続き、寝不足で体調を崩す可能性だってあるわけです。みなさんの周りにもいませんか?授業中、ずっと寝ている生徒が。そういう生徒は、家では朝まで寝ないでテレビを見たり、ゲームやケータイばかりしている可能性があるわけです。

 このように、「ではどうしたらいいか」と考えることが重要です。「やりすぎかどうかという基準が曖昧だからと言って、高校生が携帯をどれだけ使ってもかまわないか」という問題を、今度は自分自身で設定して、その問題に対して、改めて上記のような「具体化」をしながら、自分自身の意見にツッコミを入れていくという作業が次に必要になるわけです。そして、自分自身の意見にツッコミを入れた結果、「ああ、これでは自分の意見は成り立たないな」と思わざるを得ないような意見は、「小論文の最終的結論」としては成立しないと思って良いのです。

 もうおわかりだと思いますが、この作業こそが、ここの「基礎編」で繰り返した「小論文における『読者』と、その『読者からのツッコミ=反論』を想像すること」に他ならないわけです。基礎編の第3講を中心にそのことを書いておきましたので、忘れてしまった人は、ここで改めてじっくり読み直してほしいと思います。最初に読んだときとは、印象が違って感じられるでしょうから。

 

 さて、話をまた内容面に戻します。筆者の言う「携帯電話の使いすぎ」の基準がいくら曖昧だからと言って、私たちは、携帯電話の使いすぎというテーマそのものを考えなくて良いのでしょうか?今度はこの意見に対して、改めてツッコミを入れていきます。しつこいですが、コツは「具体化」ですよ。自分が携帯電話を使って友人とメールを送り合っている姿、時間、そのときの自分の様子を、できるだけリアル(具体的)に頭の中に浮かべることがきわめて重要です。

 

・携帯電話を使いすぎると、テレビの見すぎと同様に、寝たり勉強したりする時間が減る。→体調を崩す。これは問題だ。

・筆者は、「学校の友達と毎日メールしたり、学校に来てまでゲームをしたりする必要はない」と言っている。

→問題は「毎日」あるいは「学校に来てまで」というところなのか?

(頭の中で、毎日、学校の友達と、学内で携帯を使ってメールをする自分の姿を浮かべる)

→いや、やっぱり、学校で、学校の友達とメールをする楽しさはある。その友達だけと共有している秘密みたいなものもある。何より、場所や時刻を決めてどこかで会うときなどは、電話よりメールの方が格段に便利であるし、何よりそういう打ち合わせを「直接会って」行うことは意味がない。なぜならそこですでに「会って」いるのだから。

→うーん、やっぱり「やりすぎ」の基準がわからない。楽しいからゲームをやっているのだし、連絡をとったり、文字でおしゃべりをしたいからメールを送り合っているのだから。それぞれの人が自分の基準でやりすぎかそうでないかを判断するしかないと思う。

 

 自分なりに必死に考えた結果、こういう結論で、自分の主張を小論文という形でまとめるということはもちろんあると思います。実際に、こういう結論で小論文を書く生徒さんは大変多いです。しかし、残念ながら、この結論のレベルでは、ツッコミが足りません。この結論でどれだけわかりやすい小論文が書けても、「内容の深さ」あるいは「分析力」あるいは「洞察力」という観点では、「C(落ちるレベル)以下」とされてしまう可能性が極めて高いです。

 

 

§5「じゃあどうなのか」を書いてみても、なぜ評価が低いのか?

 

 なぜそんなに評価が低くなってしまうのか。こういう結論には、「依存(「いぞん」、クセになること)」という観点が決定的に欠けているからです。大学の教員なら、この結論に対してどうツッコミを入れるのか。おそらくこうでしょう。

・「自分の基準で」と言っても、そりゃ「やりたいだけやる」だけでしょう?同じことを繰り返していると、いつの間にか「それをしていなければ落ち着かなくなる」という現象を引き起こすのだから。すなわち、「依存」という問題をあなたは考えていない。

 確かに、依存という現象は、タバコにおけるニコチン・タールなどの、化学的に依存現象を引き起こすものに限らず、ゲームやメールなども、「やっていないと不安になる」ことは多いはずです。

 私自身も、いい大人ですが、たまにRPG(ロールプレイングゲーム)などをしていると、「レベル上げ」のために、ひたすら時間を費やして、そのゲームに没頭してしまうことはあります。しかも、「今日はここまでやったらやめよう」と目標を設定していても、その目標を達成した後も「もう少しやろうかな」と思い、さらに深みにはまる・・・こういうことは実際にあります。読者の皆さんもあると思いますよ。

 また、数年前に、たまたま聞いていたあるラジオでも、黒鉄ヒロシ(くろがねひろし)という漫画家がボソっと言っていたのを今でも覚えています。

「ゲームってのは、面白いからやるんじゃなくて、やめられないからず~っとやっちゃうんだよね」

 特にそのラジオ番組を集中して聞いていたわけではなかっただけに、この言葉がずっと耳に残っていることに自分でも驚いているせいで、今でもこの言葉を覚えているわけです。確かに、ゲームというのは、「途中までやっているとやめられなくなる(=もうちょっと先までやりたくなる)」から、どうしても長時間やり続ける傾向があるのだと。 ラジオを通して聞こえてきた言葉が、自分がふだん、無意識に感じていたことをズバッと言ってくれたわけです。

 こういう経験を「具体化」の中で思いつけるようになると、自分の結論に対するツッコミが深くなっていきます。カッコよく言うと「主張を深化させる」と言うのですが。例えばこうです。

 

・「自分の基準で携帯をやりすぎかどうか判断すると言っても、例えばゲームでも、『あともう少し、ここまで』などのように、続けていくうちにやめられないことがよくある。だとすると、ゲームをやるときに、「ここまでで切り上げる」という線引きをしっかり決意しておき、そこまで来たら、どこまで続けたくてもきっぱりやめることが最も重要だと考える。

 

 こういう結論であれば、「依存」という、かなり重要な問題も含めて考えた上での結論だと評価されるでしょうし、実際にあなたが「ゲーマー」あるいは「ゲーム依存症」「ケータイ依存症」であるならば、さっきの結論よりは、より納得がいく結論だと思えると思います。

 これを、文章じゃない、下書きの形にすると、例えばこうなるでしょう。

 

<実際の「ツッコミ下書き」例>2

自分の基準で ← でも依存は? → やめられなくなる → どうしてもついつい続けてしまう → やる前に「今日はここまで」と決心することが重要 → それでもやめられないのなら、始めからやるべきではない

 

 このように、「具体化+連想」を繰り返すことが、結論をより深いもの=説得力あるものにする、重要なステップなのです。しかも、その具体化や連想の中で、今までの自分の体験や、たまたま見聞きしたテレビやラジオ、新聞や雑誌の記事、友達や家族との会話が、かなり重要な材料として生きてくるのです。だからこそ、小論文を書くようになると、自分には知識が足りないと感じる生徒さんが激増するのです。知識を単に「この本を読めばよい」レベルでとらえてはいけない(=意味がない)ということは、基礎編の第8講で教えた通りです。

 

 さて、次に、携帯メールについても、もっと突っ込んで考えてみましょう。でも、ここまでで字数がやたら増えてしまったので、講を改めますね。

 

 

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