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小論文ネット講座 書き方編 第2講

「下書き&構想法」第1段階:課題文を読みながら、課題文にツッコミを入れる

※急いでいる人は、下の「5」から読み始めてもかまいません。ただ、あとで1~4も必ず読んでおいて下さい。小論文に対する「考え方」を整理するためには重要な部分ですから。

 

§1 下書きとは「構想を練ること」であって、「原稿用紙を埋めること」ではない

 小論文は、下書き段階(構想を練る段階)が一番楽しく、エキサイティングであると私は思っています。清書するときにも面白い発想は出てきますが、それはあくまでも仕上げ的な部分に限られるわけで、アイスクリームで言えば「トッピング」の部分に過ぎないわけです。やはり、アイスそのものの味を決めるのは「下書き(構想を練る)」段階です。

 なぜ、「下書き」という言葉の後にことさら「構想を練る」という言葉を重ねて書いているかと言うと、多くの生徒さんにとっての「下書き」とは、「原稿用紙に文章の形で短く書いてしまうこと」のようだからです。生徒さんが小論文を初めて書くとき、その様子をじっと見ていると、あらかじめ「下書きを大切にね!」と言っているのに、原稿用紙にきっちり「小論文」を書いていることが非常に多いのです。

 「下書き」と称して、原稿用紙にもう文章を書いてしまうということは、清書と何が違うのかがよくわからなくなるという意味でムダが多い作業です。もちろん、生徒さんとしては「清書とは違って短く書いているんだもん!」という気持ちで、あくまでも「下書き」という気持ちで書いているのでしょうが、そもそも小論文を書き慣れていない生徒さんにとっては、どこをどう短く書けば下書きになるのかという具体的なイメージを持てていないのですから、ついつい冗長な文章になり、結局、清書と何が違うのかがわからない文章になることが多いのです。

 だからこそ、最近、「小論文では下書きをするな」とハッキリ書いてある参考書が出てきたのでしょう。そういう指示は、

「生徒にいくら『下書きはこうやってするものだよ』と教えても、結局『清書のようなもの』と変わらないものしか生徒は書けないのだろう」

と、その参考書の筆者が見切ったからこそ、そういう指導になっているのだと思います。「見切った」と言えば聞こえはいいですが、「始めからあきらめている指導」とも言えます。なぜなら、「どうせ下書きのしかたを生徒に教えたって、うまく下書きできないだろうしな」という前提がなければ、「下書きをするな」という指導になることはありえないからです。

 確かに、「下書き」と称して「清書のようなもの」を何回書いても小論文の力はつきません。下書きの中で何が重要なのか、そもそも下書きをするのはなぜなのかという「戦略」の部分がわかっていないと、下書きは単に、思ったことをダラダラ書くだけの、清書の時間を圧迫する「百害あって一利なし」なものに過ぎなくなってしまうからです。

 下書きとは、あくまでも「こういう方針で清書すれば、読者からのツッコミにもだいたい勝てる!」と確信を得るために「手と頭をシャカシャカ動かし、自分の思考を試行錯誤するステップ/時間」であって、文や文章の形で原稿用紙を埋める必要は一つもありません。丁寧に書こうという気持ちもいりません。最低限、自分が読める字で書ければいいです。そういう意味で、下書きとは、あくまでも「構想を練るステップ/時間」なのだと割り切るべきなのです。逆に、そう割り切って下書きをすると、小論文の下書きは、小論文の「でき」を決める、極めて重要なものだと、自然と思えるようになるでしょう。


 

 

§2 下書き法をくわしく教えると、かえって思考が硬直化するものではあるが

 しかし、生徒さんに下書き法を詳しく教えすぎると、「そのやり方」でしか下書きをしなくなるということにもなります。哲学的な問題にもなると私は思っているのですが、あるやり方で書くように生徒さんに指示を出すということは、生徒さんに、「そのやり方に基づいた考え方」しか出てこなくさせることにもつながる可能性もあるのです。

 例えば、「具体例を大切に」と教える小論文講師に教わっている生徒は、自分の脳みその話題のストック(在庫)から、適切な具体例が浮かばないと「詰み(将棋用語で、『負け確定』みたいな意味)」になってしまうがゆえに、「理詰めで考えるクセ」がなかなか身につきにくくなるでしょう。その逆に、「理詰めで考えることが重要だ!課題文をいつも理詰めで分析し、論理的な矛盾点を突くのだ!」と教える小論文講師の教え子は、課題文の論理的な矛盾は突けるようにはなりますが、読者から「その矛盾ってどんだけ重要なの?どうでもいいことじゃね?」と反論されることに対しては極めて弱くなる可能性が大きくなります。大学入試の小論文は、字数が書けるようになると、むしろ時間が足りなくなってくるので、構想を練る段階でできることはむしろ限られてきます。そうなると、下書き時間が以前より短く感じられる分だけ、自分が教わった先生が強調することだけしか考えなくなる可能性は確かにあるのです。

 ですから、私が、下書き方法を丁寧に生徒さんに教えることは、その生徒を「白河色」に染めることにかなり近いわけで、そういう意味で、生徒さんの「思考の幅をせばめる」、あるいは「思考を硬直化させる」可能性はけっこうあります。これはぜひ、これから下書き法を読む前に、あらかじめ知っていてほしいことです。あらかじめこういうことを知っておくことで、白河流の下書きのポイントを、「唯一絶対正しいもの」としてではなく、「数あるものの一つ」として相対化することができるようになります。そういう気持ちで下書きに励んでくれる方が、より柔軟なアイデアが出やすいと私も考えています。

 

 

§3 それでも、知識で自ら溺れるより、たくましく自力で考える方が、実力はつく

 しかし、それでも、私が教えるように構想を練る練習を積むことは極めて重要だと私は考えています。理由は主に二つあります。一つ目は今の生徒さんの現状、二つ目は、考える基準点を定めることの重要性です。

 まずは理由の一つ目について。数年前までは、あえて最初の執筆タイムには、生徒さんに下書き法を何も教えずに、「まずは下書き用紙に自由に何でも書いてごらん」とだけ指示して、生徒さんの様子を見ていたことがありました。その上で、生徒さんごとの得意不得意の傾向をつかんで、その生徒の良い点を伸ばすような下書き法を指導していたことがあったのです。けれども、ここ5年くらいは、現役生も浪人生も関係なく、「自由に」というと「何も書けない」という生徒さんがほとんど(8割以上)、という状態になってきました。こういう現象は、いわゆる樋口式などの「型にはめて書くイメージで、これ系の問題が出てきたらこういう方向でまとめればいいのだ」という、

・あらかじめ知識を覚えておいて、その知識を引用しながら書く

書き方が大ブームになったことと決して無関係ではないと思います。さらに、今度はこういう書き方がブームになることで、先輩や友人から「こういう書き方が普通であるらしい」という印象を生徒さんがより持ちやすくなるわけです。その結果、背景知識も何もない状態で、いきなり課題文を読まされて、「ハイ下書きして!思ったこと書いて!」と言われても、

・「いや、知識ないんで」

という反応で終わり、時間だけが無為に過ぎてゆく、というパターンに陥ることが今、非常に多いのだろうと思います。

 確かに、小論文を書くときには、ある程度の「知識」があると書きやすいという側面はあります。私もその点は認めるのですが、大学入試の小論文問題を数多く読んでいると、例えば

・文化が問題になっていたら、「文化相対主義」という考え方を使って書けばよい。

とか、

・「抑圧されている人々」や「差別」などの問題が出てきたら、憲法上の人権という考え方で書けばよい。

レベルの「知識(というか対策)」なんぞなくても、課題文を読んで、その場で疑問に思ったことを大切にして、具体例や理詰めで課題文をチェックしていけば、自然と自分なりの主張は出てきそうな問題がほとんどです。100%とは言いませんが、98%は保証していいです。

 というわけで、「知識がないから書けない」と思っている生徒さんが激増している中で、「その場で考えることを大切にする」下書きの方法を教えておくことは、上の§2で書いたようなデメリットもありつつも、さしあたってはメリットの方が大きいと考えるわけです(ちなみに、上の二つの「知識or対策」は、あまり役には立ちません)。

 

 

§4 わかってきたら鬼を、壁を越えればいい

 あえて私の構想の練り方を「白河式」と名づけるならば、白河式とは、「その場で徹底的に考えることを重視するやり方」です。逆に言えば、私の勧める小論文の書き方では、背景知識をあまり重視していません。←あくまでも「あまり」という言葉をつけていることにご注意を。背景知識は「ないよりはある方が多少は良い」程度のものです。

 ここで、上の§3で書いた二つ目の理由が関わってきます。どの先生でも、その先生が重視するポイントに多少のずれや違いがあるならば、「考える基準点」として、白河式を一回しっかりと身につけようと努力することも一つの作戦だと考えるわけです。

 その上で、読者からのツッコミに耐えうる小論文が書けるようになった上で、「私はやっぱりこういう考え方、書き方の方が良い」と思うのであれば、そのやり方で考え、書けば良いでしょう。かなりかっこいい言い方になりますが、そのときは「師を越えればよい」ということです。私が「師」であるかどうかはかなり微妙かも知れませんが(笑)、少なくとも、小論文が苦手な生徒さんにとっては、私は激しくツッコミを入れてくる「鬼」であり、高くて厚い「壁」でもあるので、読者からの反論に耐えうる小論文が書けるようになれば、何かを越えるイメージで、自力で自分の主張が展開できるようになると思います。そうなってから自分が書きたいように書いても遅くはありません。

 

 

§5 というわけでようやく下書き法1「課題文を具体化し、徹底的にツッコミを入れる」

 前置きが長くなってすみませんでした。ただ、「こういう前提で教えるよ」というときの「前提」がハッキリしていないと、どうしても勉強を教えることが「宗教(理由が正しいかどうかに関係なく、ただ「信じる/信じない」の二分法でものごとを捉える姿勢)」みたいになっていくことが多いので、そこはハッキリさせておきました。いよいよ、具体的な下書き方法についてです。大学入試小論文は、課題文が与えられている「課題文型」がほとんどなので、まずこのタイプから得意にしていきます。

<下書き法 第1段階 「課題文にツッコミを入れる」>

① 下書き用紙を用意する。大きさは何でも良い。できるだけ白紙が良いが、罫線やマス目が入っていてもかまわない。

② まず、「下書き段階では、文章を書かない!」と強く心に誓う。

③ 「書いて良いのは箇条書きと記号のみ!」と、同じく強く心に誓う。

④ 課題文を読みながら、課題文に書かれている状況をできるだけ細かく、詳しく頭の中で想像すること。言わば、脚本を読みながら映画や演劇を想像するのと似ている。

⑤ その中で、気になったことや引っかかったことを、なるべく短く下書き用紙に書く。そのとき、頭の中で「筆者の言う通りになるとこうなるからおかしいのでは?」と、なるべく筆者に厳しく(=批判的に)頭を使おう。

⑥ 課題文を批判的に、ツッコミを入れながら読むと同時に、「じゃあどうすればいいのか?」と自分に問いかけ、その答えも書く。

⑦ ⑤と⑥を行ったり来たりしながら、「この結論なら、読者からのツッコミにも耐えうる結論だ」というものを見いだす。

以上、7つのステップで、まず「自分なりの結論」を見つけるところまで、徹底的に訓練してほしいところです。

 「自分なりの結論」は、筆者に賛成になるものでも、反対になるものでも、あるいは「部分的な賛成/反対」のようなものでもかまいません。さらに、「そもそも筆者の設定している前提がおかしい」というものでもOKです。簡単に言えば「何でもあり」です。

 ただ、「課題文と噛み合っていない(=課題文が読めていない)結論」だけは絶対にダメです。課題文型小論文では、あなたが課題文を読解できているかが必ずチェックされるだけでなく、「課題文が読めていない生徒は、他人の話のポイントがつかめない。すなわち、コミュニケーション能力が低い」と判断される可能性が非常に高いです。これは、推薦系でも一般系でも全く同じです。

 ちなみに、参考書などでちらほら見かけるのですが、「課題文に反論してはいけない。課題文の筆者は『専門家』なのだから、それ相応の敬意を持って接しなければならない」という指導は完全な間違いです。課題文に反対してはいけないなどと思ってしまうと、筆者の前提や論理がいくらおかしくても、正しいと思わなければならないというクセが身についてしまい、自分が書く文章もおかしくなってしまうからです。冷静に考えてもおかしいですよね?筆者の文章は「論理的にぐちゃぐちゃ」でも「反論してはいけない」のに、自分の答案は「読者からフルボッコにされてしまう」というのは?どう考えても「不公平」です。筆者が専門家だろうが素人だろうが、おかしい点はおかしいと主張してかまわないのです。ですから、課題文に反対したからと言って、「反抗的だ」と採点者に思われ、減点される恐怖心は全く不必要です。これはとても重要なことですから、遠慮せずに、筆者に反論、反対して下さい。ただし、「論理的に」です。


 では例題です。この文章は、実際に新聞に掲載された投書ですが、この文章に対するあなたの考えを、下書きの形でいいから書いてみて下さい。最終的には、「こういう結論なら読者からのツッコミにも負けない!」という結論を、箇条書きで良いので作ってみて下さい(この課題文だけを紙に印刷して、じかにツッコミを入れるのも良いことです)。

 

レベル:初級 目標時間:20~30分

タイトル 「携帯使いすぎ注意」

 友達と話していて感じるのは、携帯電話の使いすぎではないかということです。夜中までメールをしていたという話も聞くし、休み時間に携帯でゲームをしている人も多い。ちょっとおかしいと思います。

 僕自身、携帯は持っていますし、便利には違いないと思います。学校の友達と毎日メールしたり、学校に来てまでゲームをしたりする必要はないと思うのです。直接会って話せばいいし、ゲームは家でやればいい。使いすぎていないか、本人が意識することが必要だと思います。

(以上)

 

 解説編はこちら。ちゃんと紙を使って、自分なりにツッコミを入れまくってから読むこと。

 

 

 

 

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