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ネットで小論文講座 基礎編 第6講 

【「定義」と「説明」の重要性を味わうためのケーススタディ2-「自覚」と「国際化」を例にー】

 

この回も、前回に続き、定義が必要な言葉の代表例について説明しています。第5講を読んでいなくても一応は理解できますが、ぜひ、第5講を読んでからこちらを読んでほしいと思います。

 

§1 「○○としての自覚」は凶悪な言葉

 以下の問題例と解答例を読んでください。そして、この解答例には説得力があるかどうかを考えてみてください。

<問題例>「昨今、教師による不祥事が報道されているが、対策が必要だとすればどういう対策になるかを述べよ。」

<解答例>
『 いくらルールで縛っても、そのルールを破る教師がたくさんいることが問題だ。まず、教師としての自覚を持つべきだ。教師としての自覚さえ持てれば、不祥事を起こす教師などいなくなるだろう。 』

 

 さていかがでしょうか。実際の教師の方がこの部分を読めば、何とも言えないような気持ちになると思います。もちろん悪い意味で。

 「○○としての自覚」という表現が凶悪な理由は、「○○としての自覚」と言いさえすれば、「○○がしなければならない全てのこと」を「○○」はしなければならないと言った気になる点にあります。つまり、「教師としての自覚を持て」と言いさえすれば、「教師がしなければならないことは全てしなさい+教師がしてはいけないことは全てしてはいけません」と言っているのとほぼ同じことになってしまうのです。

 おぉ、便利!これからオレも使おう!と思わないで下さいよ。これも、「説明になっていない論法」の代表例なのですから。

 例えばあなたが中学生だとして、ご両親が怒る「何か」をあなたがしてしまったとします。ご両親はカンカンに怒っているのですが、あなたは、ご両親を怒らせる何をしてしまったのかさっぱりわからない。こういうときに、ご両親からこう怒られたらどういう気持ちになりますか?

「何をやってるんだ!中学生としての自覚を持って行動しろ!!」

 納得できますか?私ならできません。当たり前です。「中学生としての自覚とは何なのか」、それ自体が問題なのに、それを一切説明していないからです。それを基準も説明せずに「自覚」という言葉を、げんこつのようにブルンブルン振りかざして怒られたら誰だって「理不尽だ」と思いますよね?それと同じことを小論文でやって、説得力が出てくると思いますか?そりゃ出てきませんよね。

 というわけで、「○○としての自覚を持てば良い」という論法も、小論文ではダメです。あなたの考える「○○としての自覚」の内容を説明している場合はもちろんOKですけど。

 

 

§2 だからと言って「とにかく『自覚』は使うな!」と言っているわけでもない

 ここで注意してほしいことがあります。それは、「今まで無意識に流していたことを、自覚するようにすることが重要だ」という論法なら十分にありうるということです。言葉づかいがさっきと少し違いますよね。さっきは、

「○○としての自覚を持つことが重要だ」

でしたが、今回は

「今まで無意識に流していたかも知れないが、○○を自覚することが重要だ」

という論法です。例えばいじめ問題でよく出てくる話ですが、クラス内でいじめがあるとして、そういうときに、「自分は積極的にいじめてはいないが、いじめを黙認する人がいる」という問題があります。例えばそこにメスを入れるべきだと主張したいときに、

「生徒たちの多くは、『自分はいじめに参加していない』から『私はその人をいじめていない』と思っていることはないだろうか。もしそう思っている人がいたら、『いじめを黙認すること』は、『間接的にいじめを認めている』ことそのものだと気づくべきである。つまり、いじめには参加していないが、いじめを積極的に止めていない生徒は、いじめを無意識のうちに認めているということを自覚することが重要なのだ。」

というふうに書くことはできます。ここで「自覚」という言葉を使っているからといって、先ほどの「意味がわからない感」はありますか?全然ないでしょ?むしろ、前の文は次の文につなぐために、意図的にかみ砕いた書き方をしているせいで、次の文の意味が自然と読者にとって理解しやすいものになっていることがわかると思います。このように、一つ一つの文を「何のために、何の狙いで」書いているのかが、書きながら意識できれば、他人の文章を読むときにも、

「先生!『自覚』って言葉を使うとダメって前言ったじゃないですか」

という「不毛な疑問」を持たずに済むようになりますし、書くときにも、こういう「技」を盗めばいいのだなということも同時にわかると思います。また、このエピソードを通して、

・言葉とは、「その意味が説明されているか」も含め、どういう文脈で使われているかが極めて重要なのだから、この単語が使われているからダメ、という発想で採点されることもない。

ということも理解できると思います。要するに、「自覚」という言葉も、常に説明しながら使えばよいのだな、と思ってくれれば良いということです。

 ちなみに、「この言葉を使っているからダメ」という発想のことを「言葉狩り」と言います。言葉狩りという言葉は、一般的にネガティブなイメージで使われることが多いので、使うときには状況と文脈に注意しましょう。私はこの回で、言葉狩りをしているわけではありません。あくまでも「AだからB」という「論法」レベルで、みなさんが陥りがちな落とし穴について解説をしているのです。

 

 

§3 いよいよ最後の例、「国際化」

 さて、いよいよ最後の例です。第5講からぶっ通しで読んでらっしゃる方にとっては、今までで一番長いレクチャーになってますが、体力と「脳力」は大丈夫ですか?深呼吸でもして、頭に酸素を入れ直して読んでください。

 

 最後は、「国際化」です。以下の問題例と解答例を読んで下さい。そして、解答例にある「国際化」の意味がどのくらいハッキリと理解できるかどうかを考えてみてください。

 

<問題例>「現代日本ではもはや『知識人』は不要だという意見に対して、自分の考えを述べよ。」

<解答例>
『 西欧化によって工業的・経済的発展を遂げた日本は西欧化が必要ないという意見があるが、実際には日本は国際化している。その例として日本には多国籍企業が多く存在することが挙げられる。
海外へ出向いて契約を得るためにはその土地で通用する言語を話せ、歴史的背景や文化を知っている必要がある。日本語が世界中のどこででも伝わるわけではないし、その国の歴史的に対立していた国や宗教上の忌避などを知らないと契約を結べないだけでなく、国家レベルの問題が起こる可能性もあるからだ。
(後略)』

 

 

 残念ながら、この解答例だと、「国際化」の意味がほとんどわかりません。直後に「多国籍企業が多く存在すること」と書かれていますが、あくまでもこれは「例」として書かれているだけだからです。

 「国際化」そのものが問題になっている場合には、さすがに多くの生徒さんが「国際化」の定義を自分なりにしていることもあるのですが(それでもしていない場合も多々あるのですが)、この問題例のように、国際化以外のことが問題で問われているときに、自分の主張を説明するための言葉として「国際化」や「国際社会」を不用意に使う(=定義せずに使う)生徒さんがぐっと増えます。

 上記の解答例には他にもいくつもツッコミどころがあるのですが、ここでの焦点を「国際化の定義」に絞ってみましょう。まず、「実際には日本は国際化している」と述べているので、この後に「国際化」の定義が続けばよいのですが、その後に、「その例として日本には多国籍企業が多く存在することが挙げられる」と続いています。この時点で、「国際化の定義」として、非常にまずい点が二つ出てしまっています。

 一つ目は、「国際化」の定義をしなければならないのに、直後に「例として~が挙げられる」と書いてしまっているところです。例は、定義とは違います。この場合、「国際化は~としておく」などのように、暫定的にでもかまわないので、国際化の定義を宣言する文を入れるべきです。その上で、「その国際化の例として、~がある。」と書くのなら、全然悪くないどころか、むしろ模範的な小論文になったと思います。

 

 

§4 「~と考えられる」のような、自発的・受け身的な表現にも注意

 二つ目は、定義にせよ例にせよ、「~が挙げられる」という、受け身的な日本語を使っている点です。これは小論文が不得意でも、本を読むのが好きだったり、現代文なら得意だという生徒さんでもよくやってしまうのですが、

・自分の文章に客観性を持たせるために、「~する」「~がある」という能動態ではなく、「~と考えられる」「~が挙げられる」などの、受動態や自発を表す書き方を多用する罠

にはまってしまっています。例えば法学系に進む生徒さんは、大学に入ればそれこそうんざりするほどいろいろな判例を読まされるのですが、判例、すなわち裁判の判決文を読むと、まあ出てくるわ出てくるわ、「~と考えられる」「~と推測される」のオンパレードです。

 しかし、裁判の判決文を、文脈に注意して読み直してもらえればわかると思います。裁判の判決で「~と考えられる」という「自発」的な表現が出てくるときは、その前に、根拠となる事実関係や法律など、根拠に当たる部分をしっかり書いているのです。だから、筆者(裁判官)としては、「上記の事実や法律に基づくと、こういう判断が必然的に導ける」という気持ちを表すために、「~と考えられる」などの表現が出てくるのです。よろしいですか?ここ大事ですよ。「~と考えられる」と書いたから説得力が出てくるのではなく、その前段階に、「~と考えられる」ための材料や根拠をしっかり挙げているから、自然と「~と考えられる」という締めくくり方になるわけです。こういう実例を見ても、字面(じづら)だけをつくろってもムダで、内容を鍛えなければならないということがおわかりいただけると思います。

 このような、「自発的表現を使うときは、その前に根拠を挙げておくの法則」は、現代文でもほぼ同様だと思います(現代文に出てくる文章は、時々「日本語としては悪文」であるものも出てきますので、「ほぼ」とつけておきました)。

 ゆえに、自分が自主的に「国際化」という言葉を使いながら、その例として「多国籍企業の存在」を挙げたいのなら、

「その例として、多国籍企業の存在を挙げたい。」

などのように、私自らがこういう例を挙げたいのだ!という能動的な表現を心がけるべきなのです。

 

<中間まとめ1>

・「~と考えられる」などの「自発的に~できる」系の表現は、すでに根拠を挙げたときに使うこと。
・逆に、これから根拠や説明を展開したいときには、「~したい」などの、能動的な表現を使うこと(もちろん、その後に詳しい説明を)。
・先に根拠も挙げず、字面だけ「~と考えられる」と書くのは、自分に自信がないから必死に「言い方」でつくろおうとしている証拠である。

 

 

§5 例は定義とは違う

 さて。中間まとめもやってしまったので、別の補足説明を。先ほど書いた「例は、定義とは違う」についてです。これもとても重要なことです。

 実験として、以下の答案例を読んでみて下さい。この文章で、「ヘゲモニー」とは何か、理解できるでしょうか?

「ヘゲモニーの例として、冷戦後のアメリカを挙げたい。冷戦後のアメリカは、ソ連崩壊後のロシアの混乱を尻目に、世界に最大の発言力を持つ唯一の大国として君臨した。しかしいわゆる9.11のテロによって、そんなアメリカも安定した大国にはなり得ないという認識が世界中に広がった。」

アメリカの例から、なんとなく「世界に最大の発言力を持つ唯一の大国」のことなのかな、と思うかも知れませんが、果たしてそれだけなのかという不安もぬぐえないと思います。実際に、辞書を引いてみると、

 ヘゲモニー:指導的、支配的な立場。また、その権力。主導権。(日本国語大辞典より)

とあります。つまり、国とは限らないし、唯一でなくてもかまわないのです。

 こういう実験を通して、例を挙げるだけでは、言葉の意味を正確に読者に伝えることはできないということがおわかりいただけると思います。理屈っぽい言葉で言い換えれば、こういうことになります。

<中間まとめ2>

・ある言葉の定義を例で置き換えることはできない。例をいくら挙げても、「まだ挙げていない例」がある可能性を排除することはできないからだ。その「まだ挙げていない例」によって、今まで読者が抱いていたある言葉のイメージが大きく変わる可能性は排除できない。

まあ、こういう理屈っぽい表現が嫌いな方は、さしあたっては無理して覚えたり理解したりする必要はありません。小論文を書くことに慣れていくにつれて、自然と「抽象的な表現」に慣れていくと思いますし、また、慣れてほしいとも思いますが、とりあえずは、上の答案例でご理解いただければかまいません。

 

 

§6 そして「国際化の定義」に話は戻る

 だいぶ寄り道をしたかも知れませんが、改めて、「『国際化』という言葉には定義が必要」という話に戻ります。もしかして、「『国際化』って言葉はそもそも定義が必要な言葉なの?定義なんかしなくてよくね?」ってず~~~っと思ってる人はいませんか?もちろん定義は必要ですよ。大学に入ると、大学の先生たちが、それぞれ実に多様な「国際化」のイメージを持っていることにも気づくでしょうし、何より、生徒さんそれぞれの「国際化」のイメージも、人によってかなり違っていることに、みなさんはもう少し気づいてほしいところです。うーん。でも難しいかも知れません。なぜなら、みなさんは日常会話で「日本の国際化」について、家族や友達とまじめに話し合う機会がほとんどないでしょうから。

 例えば、「国際化」の定義として、

・日本が率先して「国家」という形態を拒否し、世界のあらゆる人が自由に行き来できる場にすること

という、最も極端な立場を本気で考えている人も大学の先生の中にはいますし、

・単に、数多くの多国籍企業が国境を越えてビジネスを行っていること

という、経済的な側面にかなり絞って国際化を捉えている人もいます。また、

・多くの日本人が外国へ行き、多くの外国人が日本に来るからこそ、「日本らしさ」や「日本人らしさ」とは何かを改めて把握し、日本人や外国人に伝えること

を「国際化」と捉えている人もいます。「日本人が外国に旅行に行くと、よく日本の歴史や文化について聞かれるが、ほとんどわからなくて困った」という声をよく聞きますが、この定義は、そういう文化的側面に焦点を当てたものと見ることもできるでしょう。

 さらに、生徒さんの多くにとっては、「国際化」は漠然と、

・日本に外国人が来るかどうかはともかく、とにかく日本人がみんな英語をペラペラしゃべれるようになること

というイメージを持っているようですが、なぜ「英語」なの?ということを、いつか時間を取ってじっくり考えてみて下さい。例えば地域によっては、ブラジルなどの特定の外国からたくさん労働者を雇っている工場の近くに住んでいる生徒さんもいるはずです。そういう生徒さんにとっては、「国際化」という言葉は、

・日本にいる「必ずしも英語が通じるとは限らない外国人」とコミュニケーションが取れるようになること。もしかすると、英語よりポルトガル語の方が応用がきくかも知れない(ブラジルではポルトガル語が一般的)。

こういうイメージを持っているかも知れません。

 そして、私などは、「郷に入っては郷に従え」という考えを進めるべきだと考えているので、

・日本にいる外国人に、日本の慣習としての文化を身につけてもらうために、日本語や日本でのマナーなどを身につけてもらうこと

を「国際化」と定義することが多いです。まあ「問題しだい」ということになるのですが。

 このように、「国際化」という言葉一つでも、最低でもなんと6種類の定義を挙げることができます。これだけ、「国際化」という言葉は、その言葉を使う人によって意味が違っているということを、現実として知ってほしいのです。

 「国際化」という言葉の守備範囲が政治、経済、文化、言語などのじつにさまざまな分野に渡っているせいで、小論文でただ「国際化」と書けば何かを説明したことになる、ということは全然ないのです。

 

 ここまで理解してもらえれば、上記の解答例において、

>実際には日本は国際化している。その例として日本には多国籍企業が多く存在することが挙げられる。

と書いてありましたが、「その例として」という言葉づかいが決定的にまずいことも理解してもらえると思います。ここでは例を書く前に、国際化の「定義」をしなければなりません。なのに「その例として」とつないでしまうと、自分は国際化の定義を無視していますよ、ということを自分で宣言しているようなものなのです。

 さらに、その後に「日本には多国籍企業が多く存在する」と続けているのですが、「例」として多国籍企業がたくさんあることを挙げられてしまうと、

・「例」として「多国籍企業がたくさんあること」を挙げているってことは・・・「日本の国際化」は他にもあるってこと?

と読者にツッコミを入れられてしまいます。もうおわかりでしょう。小論文を書く方針や作戦としても、

・定義をせずに例に入っていくのはとても危険なこと

なのです。

 

 最後になりましたが、今回挙げた「文化」「自覚」「国際化」以外にも、皆さんが説明なしに使っている言葉はたくさんあることを忘れないでください。よほど小論文を書き慣れるまでは、結論や根拠を書くために、自分として重要だなと感じられる言葉は、必ず定義してから使いましょう。

 今回はかなり長くなりましたが、ようやく、具体的に「定義や説明はこういうところにつければいいんだな」とご理解いただけたのではないかと思います。

 

 

<第6講 まとめ>

6-1 「○○としての自覚を身につけるべきだ」という論法は、全く説明になっていない。

6-2 だからと言って、「自覚」という言葉を絶対に使うな!と言っているわけでもない。適切に説明してから使えば良い。

6-3 定義より先に具体例を挙げるのは、作戦としてもまちがっている。先に定義を。

6-4 根拠も書かずに、雰囲気で「○○と考えられる」「○○と思われる」などの受け身的・自発的表現を使わないこと。

6-5 「国際化」という言葉も、人によってさまざまな意味で使われているからこそ、自分で定義してから使わなければならない。

6-6 その他の言葉でも、定義すべきか迷ったら、とりあえず定義しておくという姿勢で書くこと。これは下書きでも清書でも同じ。

 

 

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