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ネットで小論文講座 基礎編 第5講 

【「定義」と「説明」の重要性を味わうためのケーススタディ1-「文化」を例にー】

 

 今回と次回は、第4講の続きのような回になります。前回、「とにかく重要な部分は『主張』と『根拠』の部分だ!」と強調し、主張と根拠に関する部分についてはしっかり定義あるいは説明をつけるよう言いました。その上で、受験生がよく「定義もせずに使いがちな言葉、フレーズ」を挙げました。この回では、そういう言葉のいくつかを具体的に挙げながら、

・「先生がこの言葉は定義しろと言ったから定義した」←他人からやらされているイメージ

ではなく、

・「この言葉は自分で考えても、定義しなきゃいけない言葉に決まってるじゃん!」←自分で納得して文章が書けているイメージ

という姿勢で、少し張り切って、「定義」や「説明」が自然と書けた上で「主張」が書けるようになってもらえるようになってほしいと思います。原稿がかなり長くなってしまったので、今回と次回に分けました。

 

§1 具体例1 「文化」という言葉の使い方を検討する

 生徒さんが必ずと言っていいほど落とし穴にはまってしまう言葉、それが「文化」です。以下の例を読んで下さい。

 

<問題例> 「日本の農業について、考えるところを述べよ。」

<答案例>
 私は、日本の農業は持続すべきだと考える。なぜなら、日本の農業は日本のかけがえのない文化だからだ。先祖代々から受け継がれてきた農地で、安全で低価格な作物を大切に育て、消費者からの喜びの声を励みに、またその農地を子孫に継いでゆく。このようなすばらしい文化を、私たちは絶やしてはならない。したがって、日本の農業を破壊しかねない、農作物の貿易自由化には私は絶対に反対だ。

 

 こういう文章は、ご家族や親戚の方が農業をやってらっしゃる場合にはかなりの確率で書いてしまいがちな文章です。私がこういう書き方をしているということは、もうみなさん予想がつくように、この文章も、やっちゃいけないことをやっちゃってます。ではそれは何なのか。

 それは、「文化だから守るべきだ」という論理を、「どういう文化」なのかを説明せずに使っている点です。

 

§2 ちょっと脱線して…

 「オイオイ、『かけがえのない』ってつけてるからいいんじゃないの?」とか、「オイオイ、次の文で『文化』という言葉を詳しく説明してるからいいんじゃないの?」などと思った方、先生はとてもうれしいです。それだけ、上の文章を自分なりに本気で読もうとしてくれているからです。第2講あたりで似たようなことを言ったかも知れませんが、小論文は、「他人より先に結論にたどり着ければ勝ち」というような、「ゲーム的なもの」ではありません。いや、もっと正確に言うならば、ゲームという見方はできるかも知れませんが、全く別種の「ゲーム」です。見るところは全く別で、「どれだけ緻密に自分の主張を組み立てられるか」という「プロセス」がこの「ゲーム」の最大のポイントです。その意味で、例文を本気で読んでくれているという姿勢は、先生にとっても涙が出るほどうれしいのです。逆に、例はいい加減に読み飛ばし、いつも先回りするように、

「結論は何なの?早く言えよ」

という姿勢でこの「小論文講座」をいわゆる「速読」してもらっても、得られるものはほぼ何もありません。なぜなら、いくらこの講座を速読しても、「自分で考え、自分で説明する」という姿勢が身につかないからです。

 

§3 具体的に、読者のツッコミを予想してみる

 さて、話を本題に戻します。上記の例のどこがどのようにおかしいのか。ここでも、

「この文章を読んでいる『読者』は、この文章を読み、何を考えるだろう。どうツッコミを入れるだろう?」

と、「読者を予想」することが極めて重要な作業になってきます。

 

<ツッコミ1> 「文化」とは、「慣習」とほぼ同義にすぎない。=「この文化を守りたい」と言うことは、「この慣習を守りたい」と言うことなのだから、この「慣習」が、どういう点で、なぜ守りたいとあなたが考えるのかを説明しなければならない。

 解説します。日常の言語モードでは、「○○は日本の文化だ」と言えば、それだけであたかも「○○は日本で守っていかなければならないものだ」と主張しているのと同じである気がするでしょう。しかし、そういう言語モードだと、「文化」という言葉の中に、必然的に「良い」という意味を入れたまま、「文化」という言葉を使っていることになるのです。

<例>
「稲作は日本の文化だ。」=「稲作は守るべきだ。」と言えたような気になってしまう。
「捕鯨は日本の文化だ。」=「捕鯨は守るべきだ。」と言えたような気になってしまう。

 

<日常言語モードにおける「文化」という言葉のイメージ>
 文化のイメージ1

 この図の二つの楕円が重なっている部分のように、日常の言語モードでは、「昔からやってきたこと」なおかつ「良いこと」の部分(重なっているところ)を「文化」と呼んでいる場合が非常に多いわけです。

 


 しかし、こういうモードで「文化」という言葉を使って「主張」を組み立ててしまうと、上の答案例における主張は、こう書き換えられることになります。

 

・もと 「日本の農業は、日本の文化だから、守るべきだ。」

 = 「日本の農業は、日本の良い慣習だから、守るべきだ。」

あらら。根拠の部分に、価値判断を含む言葉(=良い、悪い)が入っています。これでは、何がどう良いのかを説明しない限りは、

・「良いのだから守れ。」

と言っているのと同じで、読者も「そりゃ良いっていうんであれば守るよ?だから『どう良い』のか、『なぜ良い』のか言ってくれよ」とつっこんできます。

わかりますか?ここ、とっても重要なところですよ。

「『○○は良いことだ』と宣言するだけでは、理由になっていない」

ということなのです。今はまだ難しいかも知れませんが、また気が向いたらこの部分を読んで下さい。これをもっと一般化するとこうも言えます。

 「根拠の部分に、『良い』または『悪い』と言いかえられる『価値判断語句』が入ると、それだけでは、根拠として不十分なものになる」

 くどいですが、「○○は良い」と宣言する「だけでは」とつけていることに注意して下さい。さらに、「それが良い理由」がついていれば、何の問題もないのですよ。私がここで強調したいのは、生徒さんがよく

・「○○は良い」あるいは「○○は文化だ」と宣言さえすれば、それが「根拠」になると思ってしまう

ことなのです。そう思ってしまうと当然こうなります。

・「○○は良い」あるいは「○○は文化だ」と宣言すると、安心してしまって、「さらにその根拠」を説明しなくなってしまう。

 これが、「文化」を根拠にするとほぼ必ずと言っていいほどハマってしまう落とし穴なのです。

 

 そろそろ結論に進みましょう。

・「○○は文化だ」という宣言は、「○○」を守るための「根拠」としては使えない。根拠として使いたいのなら、「その○○は、なぜ守るべき文化なのか」の説明をさらに入れなければならない。

 あるいは、以下のように思ってしまう方が良いかも知れません。大学では、「文化」という言葉を以下のような意味で使っている先生が非常に多いですから。

・「文化」とは、「慣習」と似たような意味であって、ある人間の集団が、長期間にわたって行ってきた事柄である。文化という言葉の中には、「守るべきもの」という意味を必ずしも含んでいない。

この定義を覚えてしまえば、今後、「○○は文化だから守るべきだ」という論法は取らずに済むようになります。また、「○○は文化だ」と主張するときも、「なぜ○○を守らなければならない文化なのか」を自分から説明できるようになります。

 実際に、昔から行われてきていること(=文化)であっても、やめた方が良いことはあります。例えば、衝撃的なことですが、現在でも世界にあるいくつかの部族では、女性が成人したときに女性器の一部や全部を切除したり、縫合したりすることが行われています。言うまでもなく、女性が、自分の合意なしに自分の身体を傷つけられる必要性は全くありません。その意味で、「身体の自由」という人権が全く守られていません。こういう「文化=慣習」は、その部族の人が「うちの部族ではこれが『文化』なんだから、よそ者は口を出すな!」と主張しても、少なくとも日本に住んでいる私たちにとっては全く説得力がありません。何かを「文化だ」と主張することが、根拠としては不十分であるという良い例でしょう。

 さらに、この点を深めていくと「異文化理解」という、小論文でよく出る分野の一つにつき当たります。例えば、調査捕鯨を含めてでさえ、私たち日本人がクジラを捕ることは、「あのかわいいイルカと似たような動物のクジラを今でも食べてるなんて!信じられない!!」と思っている外国人にとっては、それこそ「信じられない」レベルのことなのかも知れないのです。ここでその問題について語り出すとさらに長くなってしまうのでやめておきますが、文化について語るときには、最終的にはこういう問題まで考えなければならない、ということを頭の片隅に置いておいて下さい。

 

<中間まとめ:小論文(学問界)における「文化」>

文化のイメージ2

・この図のように、学問界では「文化」とは、単なる「慣例」や「慣習」と同じ意味で使われることがほとんどである。したがって、小論文での主張として「○○は文化だから良いことだ」と主張するためには、ただ「文化だから」と書くだけでは足りない。「どのように良いのか、なぜ良いのか」を説明しなければならない。 =「この慣例は、二つの楕円が重なっている部分ですよ~」ということを、自ら積極的に説明しなければならない。

 

 

§4 改めて、答案例にツッコミを入れてみる

 さて、ようやく、上の解答例を検証する準備が整いました。上の解答例では、日本の農業が、どのように「守るべき文化」なのかを説明していたでしょうか。

>先祖代々から受け継がれてきた農地で、安全で低価格な作物を大切に育て、消費者からの喜びの声を励みに、またその農地を子孫に継いでゆく。このようなすばらしい文化を、私たちは絶やしてはならない。

こう書いてあったということは、

「先祖代々から受け継がれてきた農地で、安全で低価格な作物を大切に育て、消費者からの喜びの声を励みに、またその農地を子孫に継いでゆく。」

だから

「農業は守るべき文化である。」

と主張していると読み取ることができます(これでもかなり、甘く見ているのですが)。ここで、第3講で教えたように、「読者からのツッコミ」を考えます。

 

①「先祖代々から受け継がれてきた農地で」 ← 今あるほとんどの農地は、戦後のいわゆる農地解放によって、地主から小作農に強制的に分配されたものです。したがって、日本の農地のほとんどは「先祖代々から受け継がれてきたもの」ではありません。この部分は理由になっていません。

※また、昔からやっていることは全て守るべきなの?という問題もあります。例えば、昔CDショップをやっていた人が、CDが売れなくなって、店を変えることを余儀なくされる場合に、「この店は親の代のレコードショップから引き継いだものだ!」と言えば、国などがその商売の面倒を見てくれるのですか?ということです。そうではないとしたら、この論法そのものが理由になっていないということです。

②「安全で低価格な作物を大切に育て」 ← 国内産だから安全というのは偏見にすぎません。低価格かどうかで言えば、ほとんどの国産の農作物は国際水準で見れば高価格です。したがって、事実と違います。

③「消費者からの喜びの声を励みに」 ← どんな職業でもできることです。また、「消費者からの喜びの声を励みにしているから農業を守るべき」という論理にはなりません。消費者からの喜びの声を励みにしている職業人は、全員国などから保護されるべき存在なのですか?そうではないということは、この部分も理由になっていません。

④「またその農地を子孫に継いでゆく」 ← 意味がわかりません。「農地を子孫に継ぐから農業を守るべき」?じゃあ、100億円持っている人が、このお金を全額子どもにあげたいから相続税をナシにしろと言ったらナシになるんですか?ここも理由になっていません。

 

 このように、どこも「守るべき理由」としては不適格(理由としての条件を満たしていない)なのです。しかしながら、生徒さんがこういう文章を書いたり、生徒さんがこういう解答例を読んで、いかにも「理由」を書いているっぽく感じてしまうのは、よほど日本語力が低くない限りは、「文化」という殺し文句が文章の中に入っているからなのだと思います。

 まさに、「文化」という言葉のパワー、恐るべしと言っていいでしょう。

 余談になりますが、日本の農業を守りたいという主旨で主張を展開したければ、日本の農業が守られていないときと比べて、具体的に、誰にとって、どういう「実害(実際の害)」が生じるのか、あるいは、どういう「利益」が生じるのかを語る必要があるということです。根拠もなく「外国の農産物は危険だ!」といくら叫んでも、「安全検査は日本政府がやっています」と反論されて全然説得力が出てきません。

 

 

<第5講 まとめ>

5-1 小論文においては、「文化」は「慣例、慣習≒今までやってきたこと」という意味にすぎない。

5-2 だから、「○○は文化だから」という根拠の書き方だけでは、それは根拠としては不十分である。

5-3 「○○は文化だから」を根拠にしたければ、「なぜ○○は守るべき文化なのか」という、「根拠の根拠」をつけ足さなければならない。

5-4 また、「○○は良い/悪い」という意味の文も、これだけでは根拠にならない。

 

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