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小論文ネット講座 基礎編 第4講 

【「重要な言葉」の「重要」の基準は?】

 

§1 「AならばB」というイメージづくりがとても重要

 いよいよ、第2講から引っぱってきた話です。第2講で、私は、

・自分なりに重要だと思う言葉は、必ず自分なりに「定義」をしよう。

とまとめましたが、では「重要だ」とか「重要ではない」とかって、どういう基準で判断するの?という問題に入るわけです。「オレ基準だ!」と言ってしまってよくね?と思う人が多いかも知れませんが、ここでも私は「ちょっと待ってね」と言いたいのです。

 なぜなら、この問題は、言い換えれば、「主張を組み立てる際に、『重要な部分』とは何か」というものであり、この問題を考察することで、小論文を書く上で極めて重要なヒントが得られるからです。

 

 みなさんは、日常生活の中で、赤の他人に自分の主張を筋道立てて語る機会がいままでほとんどなかったでしょうから、「何かを主張する文章」として小論文を書くときに、以下のようなイメージが図形的にできていないことと思います。仮に、もしできているなら、以下しばらくは飛ばしてもらって良いです。

 

AならばBの図

<AならばB の図>

 

やや大げさな気がしますが、重要なイメージなので、思いっきり大げさな図を作りました。数学Aの「論証」の分野で学ぶ、「AならばB」の図です。数学が苦手とか、高校に入ってから数学をほとんどやっていない生徒さんも気にしないで下さい。

 重要なことは、「A ならば B」と言いたいときに、

① Aを「根拠」と呼び、Bを「結論(または主張)」と呼ぶということ。

さらに、

② 自分の主張を要約したときに、根拠や結論に関わる部分は「最重要」な部分であるということ。

この二点です。さらに、この二つを生かすための姿勢として、

③ 小論文を書くときは、何が結論で、何が根拠かを、書いている自分自身がしっかりと意識すること。

 

 ・・・あらら、私の想像の中で、ほとんどの人がずっこけてる姿が浮かんでしまいます。まるでみなさん、「オイオイそんなことかよ!そんなこと当たり前すぎるだろ!!」とでも言いたげな顔をしています。あくまでも私の想像の中でですが(笑)。

 でも私は、大まじめな顔でこの話をしているつもりです。1000枚以上みなさんの答案を添削して気づいたことは、この、「あまりにも当たり前のことができていない生徒さんがどれだけ多いか」ということなのですから。

 

 

§2 「AならばB」を本気で意識することで、「今自分が何を書いているか」を意識しよう

 具体的に言うと、

・結論で何を言いたいのかよくわからない。

・根拠が見つからない。 あるいは 根拠で何を言いたいのかわからない。

こういう答案が、それこそ「ごまんと」あるわけです。例えば以下のような文章です。

 

『 私は他人の意見にまどわされたり、人それぞれの意見があるから結局議論が成り立たなくなる教育に反対だ。
 なぜなら、議論というものは、何かの物事に対して自分の意見を持って初めて成り立つものだ。それなのに、どんな意見を持とうと自由だと言ってしまえば、それぞれの意見はあるものの、それ以上議論が進むことはなくなるだろう。他人の意見に疑問を持ち、話し合い、違う意見でも結論を持つことが大切だ。』

 

 まず、この文章の第1段落が、何を言いたいのかが全くわかりません。第2段落も、「なぜなら」という、「これから理由を書きますよ」と宣言する語句を書いておきながら、その後のどこに理由が書いてあるかもわかりません。おそらく、この答案を書いた生徒さんも、書きながら、自分で何を書きたいのかがわかっていないのだろうと思います。よく、「なぜなら」で文を始めたら、「~だからだ」で文を終えなさいと、中学や高校の国語で習ったと思うのですが、自分で何を書いているのかわかってさえいれば、あまりにも当たり前のルールに感じられるはずなのです。ところが、意外とそのルールが守られていない答案がとても多い。だからこそみなさんは先生たちからそういう指導をよく受けるわけであり、そういう指導をよく受けるということは、自分で何が書きたいかわかっていないままに小論文を書いている生徒がいかに多いかということの証拠でもあるわけです。

 次の例として、この文章も読んで下さい。

 

『(前略)
よって、私は筆者と同じ考えである。課題文に出てきた(中略)は、被害者と加害者が中立的立場にあった。社会的な考え方で行けば「加害者がかわいそう」ではなく、「被害者がかわいそう」という意見が出るはずだ。これはやはりおかしいのではないだろうか。(中略)そして、若者が意見を述べ、多様な考え方を学ぶ機会を増やしていくべきである。そうすれば個人主義の考え方だけでなく、人の心、考え方も理解することができる人が多くなり、あたたかな世の中になるだろう。 』

 

 この文章は、「やはり」と書けばその部分が根拠になる、と勘違いしている点がまずいです。みなさんは日常会話で、「やっぱり」「やっぱ」などを冒頭につけて話しがちだと思いますが、「小論文の読者=大学の教員」から見れば、何が「やっぱり」なのかがさっぱりわからないのです。こういう小論文が書けてしまうということは、厳しく言えば、

・「やっぱり」と書けば、読者は自ら根拠を探してくれるだろう

という「読者に対する甘え」に基づいて小論文を書いていることに他ならないわけで、書き「方」が悪いのではなく、そもそも小論文というものに対する「姿勢」が悪いということになるのです。

 

 

§3 小論文では、トコトン読者に甘えないことが重要

 他に、この文章へのツッコミはありませんか?そうです。最終行の「あたたかな世の中」です。これも、この答案例の中で、初めてここで出てきた表現なのです。それにもかかわらず、何が「あたたかな世の中」なのかの説明は全くありませんし、文脈から推測することもできません。これも、厳しく言えば、

・「あたたかな」という言葉を使えば、きっと「いいこと」として読者は解釈してくれるだろう

という「甘え」に基づくものです。言葉づかいだけで、読者に「良い」や「悪い」という「ある印象」を読者に与えようとしても、少なくとも小論文の世界ではムダなのです。(もちろん、説明がついていればかまいません。遠慮なく説明上、使って下さい。)

<例 >
× これは古い考え方だ。
○ これは、今の貧困層がどれだけ多いかを考慮していない点で古い考え方だ。

このように、「説明をつけさえすれば、あいまいな言葉も使える」と思っておけば良いのです。

 

 この文章へのツッコミはまだあります。それは、「~ではないだろうか」という書き方です。これは、よく新聞の社説の最後などでも使われているので、小論文を書くときにむしろ率先して使っている生徒さんも多いかも知れませんが、ハッキリ言ってダメです。

 なぜなら、「~ではないだろうか」という文の終わり方は、判断を「読者」に任せるものですから、これも厳しく言えば、「書き手の結論が何なのか」をとてもあいまいにさせる書き方だからです。

 小論文でよくやる作業が、頭の中で実験してみること、すなわち「思考実験」なのですが、例えば、以下の二つの文を頭の中で比べてみて下さい。

 

a. 政府は消費税を上げるべきだ。

b. 政府は消費税を上げるべきではなかろうか。

 

この二つにおいて、どちらが、「書き手がその理由を説明しなければならない文」に見えますか?

 

 

 

 

・・・thinking time・・・

 

 

 

 

 答えはaの文です。なぜなら、bの文は、「読者のみなさんもそう思いますよね?」という気持ちを「~ではなかろうか」という「言い方」に込めることで、「読者のみなさんもそう思うのですから、私がわざわざ理由をつけなくても良いですよね?」という意図が感じられるからです。実際に、小論文を添削していても、「~ではなかろうか」で終わるクセのある生徒は、全員と言っていいほど理由を書いていません。

 このように、bの文の方が、「書き手が理由を書こう」という気持ちを弱くさせる書き方であるがゆえに、「~ではなかろうか」という書き方がクセになってしまうと、「この部分の根拠は書かなくていいよなぁ~」とついつい思いがちになってしまいます。その結果、気がつくと、根拠を書かないクセが、いつの間にかついてしまっているのです。

 一方で、aの文は、読者に「そう思いますよね?」と甘える姿勢を自ら断っています。言い換えれば、「読者がどう思おうが、私はこう思うのだ」と、「これは自分の主張である」ことを正面から述べようとしていることが伝わる文です。言うなれば、荒野で、向かい風の中、ただ一人で立っているイメージで文を書いています。荒野の中、ただ一人で主張しているのですから、頼れる者は自分しかいない。だから、自然と自分から理由をつけようとするわけです。言うまでもなく、小論文の世界においては、こちらの姿勢で文章を書かなければなりません。

 こういう文章を書く習慣をつけることで、常に自分で自分の主張に「なぜ?」と問いかけることができるようになっていきます。自分の主張に「なぜ?」と問いかけることができるようになれば、自分の小論文の中に「理由」を書いておかなくちゃ!という気持ちになっていくはずです。そしてそのように、自然と手も動くはずです。形としてはこうです。

「私は、~だと考える。
なぜなら、・・・だからだ。」

こういう形を使う方が、少なくとも、自分で何を書こうとしているかを意識できるようになるという意味で、「確かに~。しかし…。」という形を「とりあえず」使うよりも、はるかに小論文としては説得力が出てくるのです。むろん、ある意図が明確にあって「確かに~。しかし…。」構文を使うことは止めませんが、それは「上級者」になってから使えばいいことであって、初級~中級者がとりあえず使うものでは全くないのです。

 

<中間まとめ>
1 以下の言葉は小論文で使わないこと。読者に甘え、自分で理由を書かないクセがついてしまう。

① 「やはり」「やっぱり」
② 「~ではなかろうか」

2 「AだからB」という、「根拠と主張」のセットを、下書きしながら、さらに清書をしているときも、常に意識すること。「自分で何を言っているのかわからないこと」を、字数を埋めるためだけに書くのは絶対にやめること。常に、「今自分は何を書こうとしているのだ?」と自問自答を続けること。

 

 この二点を意識しながら下書きができれば、どの部分が「重要」なのかも自然とわかると思います。他ならぬ、この「根拠と主張」に関わる部分です。そしてこのことは、第2・3講とも自然とつながっていきます。この、根拠と主張の部分において自分が使う言葉は、できるだけ自分なりでかまわないので「定義」しながら使うことが必要だということにもなるわけです。

 

 あとは、経験を積みながら、「どのくらいの言葉までを説明する必要があるのか」という「線引き」を少しずつ身につけていけばよいのです。一般的には、「他人が読んでも誤解の余地がない言葉は定義が不要」と思っておけばよいのですが、これも、今までみなさんは「厳しくツッコミを入れてくる他人」を意識して文章を書いた経験がほとんどないでしょうから、まだ「他人」のイメージができていないはずです。ですからこれも「経験」と言うしかないです。参考までに以下に、定義、または説明しないと読者には伝わらない言葉の具体例を挙げておきます。

 

<定義、または前後で説明を加えないと、読者には意味がほぼ伝わらない言葉の代表例>

「平和」、「文化」、「常識」、「自覚」、「共存」、「民主主義」、「善」、「正義」、「悪」、「理解・わかりあい」、「国際化」、「国際社会」、「明らかだ」、「明らかに~だ」、「国際的だ」、「グローバルだ」、「多様性」、「依存する」、「独立する」、「ずるい」、「あたたかい」、「冷たい」、「進んでいる」、「遅れている」、「たくましい」、「強い」、「弱い」、「しなやかだ」、「前向きだ」、「後ろ向きだ」、「先進的だ」、「後進的だ」、「新しい」、「古い」、「進んでいる」、「遅れている」、「みんな~だ」、「誰でも~する」、「~するのは常識だ」など。

 

 なんと、ざっと思いつくまま挙げてみても、少なくともこれだけあるわけです。これらの言葉を、説明もせずに小論文で平気で使ってしまっているそこのあなた!まだまだ、言葉の使い方が「日常生活モード」のままですよ。これから練習を通して、「小論文モード」という「別の頭のモード」を作っていただくことになります。

 さて。分量がかなり増えてしまいました。次回、これらのいくつかを例として使い、さらに「読者に伝わるように書くとはどういうことか」を具体的に示していきたいと思います。次回と次々回の中で、少しでも「小論文における読者」のイメージが浮かぶようになってほしいと思います。

 

 

 

<第4講 まとめ>

4-1 「AならばB」の部分が小論文では最も重要である。

4-2 だから、「AならばB」の部分に出てくる言葉は、できるだけ自分で定義しながら小論文を書くこと。

4-3 その他の基準は、経験を積みながら身につけていこう。

4-4 とにかく、自分で何を書いているのかを意識しながら下書きと清書をすることが重要である。

 

 

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