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ネットで小論文講座 基礎編 第3講 

【小論文における「読者」は怖いよ】

 

§1 小論文の先生が怖いのは、小論文の「読者」が残酷だからである

 推薦でも慶応対策でも東大対策でも、対面授業では、いわゆる「鼻っ柱の強い生徒」がだいたい1割ほどいます。私はそういう生徒の方がむしろ好きです。なぜなら、そういう生徒の方が、一度「あぁ、小論文ってこういうことなのね!」と理解すると、その後の伸びが笑っちゃうほどすごいからです。だからといって、皆さん全員に「鼻っ柱の強い生徒になれ」と言うつもりもないのですが。

 では、「鼻っ柱の強い生徒」とはどのような生徒なのか。「定義」が重要だと、私自身が第2講で言いましたもんね。「鼻っ柱の強い生徒」の定義をします。すなわち、私の添削や、(実際の対面授業では)私の「講評」に対して、正面から「反論」してくる生徒さんのことです。例えば、こういう生徒さんのことです。

 白河「ここはこうした方がいいですよ。」

 生徒A「いや、でも僕はそうしなくていいと思います。」←こういう反応をするところ

 白河「なぜそう思うのですか?」

 生徒A「・・・」

という展開になることが多いのですが、さらに経験を積むと、生徒も「・・・」となるのではなく、果敢に反論してくるようにもなります。

 

 それで良いのです。小論文を書きながら、「白河がこうツッコんできたらオレはこう反論するぞ」という気持ちになれているからこそ、その後の「講評タイム」でも、白河からのツッコミに反論できるようになるわけです。このように、小論文を書くという作業においては、「常に読者からのツッコミを予想する、意識する」ということがきわめて重要になります。

 

 困るのは、気の弱そうな女子生徒に多いのですが、以下のような展開になるときです。私は男女差別はしていません。女子に対しても、講評タイムでは実名を挙げて、教室内で他の生徒もいる中で、普通に聞きます。

 

 白河「○○さん、ここはなぜこう書いたの?」

 生徒B「・・・」

 白河「では質問を変えましょう。この前でこの言葉を定義していないけど、なぜしなくていいと思ったの?」

 生徒B「・・・・・」

 白河「この言葉は定義しなくていいですか?」

 生徒B「・・・・・・・・」(よく見ると半泣き)

 

 さすがに半泣きは数ヶ月に一回くらいしかないですし、新人さんがいない限り、2学期はこういう展開はまずなくなりますけれども。どんな生徒さんでも、修行を積めば、必ず一言二言は答えるようになります。

 で、また話がそれたので本筋に戻りますが(私がそらしたのですが)、小論文における読者は、上の二つの例に挙げたように、皆さんが思っている以上に、はるかに「残酷である」ということをこの講では知ってほしいということです。しかも、頭ではなく、体でというくらい、徹底的に知ることで、小論文の下書き段階で、徹底的に読者からのツッコミを予想してほしいのです。

 

 

§2 言葉づかいに対してフォロー気味に対応するのが日常生活で、厳しく対応するのが小論文

 かみ砕いて言いますと、女子生徒を中心に、ほとんどの生徒さんは、日常的な日本語生活において、言葉を使うときに、

「そのくらいわかれよ!」

という姿勢で言葉を使っています。例えば、よくあなたのお父さんやお母さんは、「これはアレだから」などと言うと思いますが、あなたは「こういうときの『アレ』は、○○の意味だよな」と推測できることはとても多いはずです。つまり、「言いたいことのやりとり」という意味での「コミュニケーション」は十分に成立しているわけです。そのことをあなたも無意識のうちに知っており、自然と、あなたも「アレ」や「ナニ」などと、赤の他人には全く推測できない言葉を平気で使うようになっています。このように、今あなたが住んでいる世界というのは、あなたと周囲の人が使う言葉の意味一つ取っても、無意識に「その人をできるだけ理解しよう」という気持ち、すなわち「フォロー気味」に解釈してくれている世界のはずです。

 例えば、第1講でも触れたように、「修学旅行の思い出」や「読書感想文」などのような「随筆」あるいは「感想文」と呼ばれる分野の文章においても、読者(学校の先生)は、あなたが使った言葉や文に対してはかなりフォロー気味に読んでくれます。

 例えば、「春の香り」などという言葉をあなたがいきなり使ったとしても、読者である学校の先生は、「春の香り」という言葉の意味をあなたが説明していなかったとしても、勝手に想像してくれますし、

 「こういう言葉づかいができるなんて、キミは『表現力』があるね!」

などと、大きくプラス評価をしてくれることもけっこうあります。小論文で、自分が作った言葉を定義もせずに何度も繰り返して使うタイプの生徒さんがけっこういますが、小中学校時代に、こういう点をほめられたことを無意識に覚えているからなのかもしれません。

 

 しかしながら、残念なことに、小論文における読者(=大学の先生たち)は、例えば言葉の意味一つ取っても、かなり厳しい態度であなたたちの文章に向き合います。第3講でも述べたように、「思いやり」という言葉一つ取っても、

「『思いやり』という言葉は、どういう意味で君は使ってるのかね?それが読者にわかるように書けているかね?書けていたらプラスに評価しよう。書けていなければ、何も言っていないのと同じなので、マイナスに評価しよう。」

という姿勢で、あなたたちの文章に向き合うのです。ですから小論文では、説明もなしに「春の香り」などという言葉が出てきても、その言葉の意味が前後で説明されていなければ、採点者にとっては「全く無価値なもの」と見なされてしまうということを知っておきましょう。同じ「国語系」の科目であっても、「感想文」と「小論文」では、採点基準が全くと言っていいほど違うのです。「小論文」の世界では、採点者が厳しいときは、定義もせずに「春の香り」などというあいまいな言葉を使っていると、「定義もせずに意味不明の言葉を使っている」などと、冷たく突き放されてしまう(=「マイナス評価」をされてしまう)こともあるのです。

 

 

§3 なぜ小論文の「読者」は厳しいのか…大学での「学問の世界」を想像してみる

 えっ?「なぜ白河は、そんなことを自信を持って言えるのか?」ですって?いい質問です。理由は二つあります。

 理由の一つ目は、私の大学時代・大学院時代の教師たちは、全員、こういう態度で論文に向き合ってらっしゃったからです。いわゆる私の「経験」に基づくという理由です。「お前がそう思っただけじゃね?他の大学は違うかもよ」と思った人へ、いいツッコミです(笑)、その調子です。そんなわけで二つ目の理由です。こっちの方がパンチが効いています(笑)。

 理由の二つ目は、大学に入ってからの「学問」の世界では、全てそういうルールが前提として組みこまれているからです。文系だろうが理系だろうが○○学だろうが関係ありません。どんな学問分野でも、

① 定義が不明確な言葉は意味をなさない。

② 書かれている事柄から論理的に導けない事柄は、書かれていないのと同じだ。

この二つを「大前提」として持っています(大前提という学術用語があるわけでなく、あらゆる「前提」を包み込むようなさらに大きな「前提」という意味です)。これは何も意地悪でこういう前提を置いて学問を行っているわけではなく、こういう前提を置くことが、さまざまな考え方をすり合わせ、より正しい考え方とは何かを追求するときに効率が一番良いからです。

ここはこの講の「キモ(一番大事な部分、肝臓の肝のことです)」なので、じっくり読んでほしいところです。例えば以下のような論争を、皆さんは「良い論争」と判断しますか?考えてみて下さい。

 

<ある論争>

A「平和をめざすために、日本は軍備をなくすべきだ。」

B「平和をめざすために、日本は軍備を増やすべきだ。」

A「平和をめざすために、なぜ軍備を増やすのだ?」

B「それは、平和のためさ。君こそ、平和をめざすために、なぜ軍備をなくすのだ?」

A「それは、平和のためさ。」

 

 これを「良い論争」と判断する人はさすがにいないと思います。これは、典型的な「噛み合わない議論」の代表例です。いうまでもなく「悪い議論」の例です。

 なぜ議論が噛み合っていないのか?それは、AとB、二人における「平和」の意味が違っているからです。もっと言えば、どちらも「平和」の意味を明らかにしていないからです。大学に入ってからは、このような議論を展開するAとBの両者に対して「最低」という評価がつけられます。なぜかって?それは、こういう議論を何万年続けても、誰にとっても、何にとっても役に立たないからです。強いていえば、AとB、それぞれの自己満足のためにしかなっていないからです。

 おそらく、Aにとっての「平和」の意味は、「日本人みんなが兵器などを持っていない状態」であり、Bにとっての「平和」の意味は、「他国が日本を武力で攻撃しようとは思わない状態」であるのでしょう。しかし、この二人は、お互いの「平和」の意味を自ら明らかにしないまま、「議論」だけを続けています。論争におけるこういう姿勢は、よく「朝まで生テレビ」などでも見かけられますが、同じ言葉を使っているのに、その意味が違うにもかかわらず、その意味を明らかにしないまま議論だけを続けることは、「話がかみ合わない」典型的な原因となるがゆえに、きわめてまずい態度だと視聴者から判断されます。この点は、「小論文」においても全く同じなのです。

 なぜなら、大学に入ってからの「研究」の世界においても、常に「議論」は生じうるからです。「研究」の世界においては、ありとあらゆる事柄が「議論」の対象となるのです。高校までの勉強のように、「○○は必ず正しいからただ暗記すればよい」という世界ではなく、新しい考え方や新しい事実が発見されると、それに基づいて、いつも「更新可能」なものとなっているのです。本来、「学問」とはそういう世界なのです。

 例えば、私の中高時代には、鎌倉幕府の成立年は「いいくに」の「1192年」と教わりましたが、その後、「学問的議論」が進み、今では、「1185年」なども含めて「諸説ある」という教え方になっているようです。このように、歴史という分野においても、これまで正しいとされてきたことに対して、論理的でありさえすればいくらでも反論することができるというのが、大学に入ってからの「学問」という世界の特徴なのです。

 したがって、「学問」の世界では「議論」が普通であり、「議論」を効率よく行うために、「重要な言葉に関しては自ら定義を示さなければならない」という「議論のルール」ができあがったというのは、高校生のみなさんでも理解できると思います。

 こういう背景があって、小論文でも

・定義を示さないのは、示さない方に責任がある。

という前提(ルール)が置かれます。なぜなら、第0講でも述べたように、大学入試の小論文は、大学に入ってからの「論文」を小さくしたものですから、「論文」におけるルールが基本的に適用されるからです。

 逆に、こういう前提やルールをあらかじめ作っておくことで、論文を書こうとする人々(学者)たちは、自分が使う言葉の意味を、あらかじめ定義してから使う習慣がつきます。そのことによって初めて「他者と噛み合った議論」ができるようになるわけです。したがって、上記のような前提を置くことは、学問という大きなカタマリを、人間にとってより役に立つようなものに改良していくために、なかなか役に立つわけです。←これを、「合理的だ」と言います。言葉の意味を自分の文章内でハッキリさせておくことは、赤の他人と効率のよいコミュニケーションを取るためには、ほぼ必須と言ってもいいです。

 

 

§4 定義をただ書けば良いというわけではない。その定義の正しさもつっこまれる

 主張の理由、定義の理由についても同様です。上のAにツッコミを入れるのであれば、

「あなたは『平和』の定義をしていない。あなたの言う『平和』を、『日本人全員が兵器を持っていない状態』だと推測するにしても、あなたは日本人についてしか語っていない。日本の周りの国が兵器を持っており、日本人だけが兵器を一つも持っていない。それが『正しい』と考えるのはなぜなの?」

となります。このように、「定義がこうだと仮定しても、その定義が正しい理由は何なの?書いていないよ」というツッコミもバシバシ入ります。そして、そういうツッコミに答えられない文章は、学術論文としては「失格」という烙印を押されてしまうのです。

 Bにツッコミを入れるときも同様です。

「あなたは『平和』の定義をしていない。あなたの言う『平和』を、『他国が日本を武力で攻撃しようとは思わない状態』だと推測するにしても、あなたは、そのことによって、他国がますます軍備を増やす可能性を考えていない。それにもかかわらず、日本のことしか語っていない。それでも『日本は軍拡すべきだ』と考えるのはなぜなの?」

例えばこういうツッコミが入るでしょう。そして、そういうツッコミに答えられない文章は、これまた学術論文としては「失格」となるのです。

 

 第0講でも言ったように、大学入試における「小論文」とは、大学に入ってから本格的に書かされる「論文」を小さくしたものだから「小論文」と呼ばれているわけです。こういう前提で私は小論文指導をしています。この前提を生徒さんも共有してくれるならば、ここまでの説明で、小論文における「読者」というものが、いかに残酷な存在であるかということが、理詰めで理解できたと思います(この「前提」を共有するかしないかは、この文章を読んでいるあなた自身が自ら判断すべきことです。この「前提」が共有できない思った生徒さんは、遠慮なく、他のやり方で小論文の力を身につけると良いと思います)。

 「うわ~、こりゃ厳しすぎる。いちいちそんなことを考えないと小論文って書けないんだ!」と引くことはありません。これも、「慣れ」です。さっきも言ったように、対面授業では、遅くとも2学期には、私の厳しい(?)ツッコミに対して、無言で硬直したままという生徒はほぼいなくなりますし、一学期も含めて、当てるのはやめてほしいと言われたこともありません。泣いた生徒も、後で個別に聞いてみると、「答えられない自分が悔しかった」としか言いません。その意気やよしです。答えられなくて悔しくない人よりも、答えられなくて悔しい人の方がよほど伸びるのですから。ただ、その「くやしかった課題」に再びチャレンジし、それを再び添削してもらうことが重要なのですが。

 

 

<第3講 まとめ>

3-1 小論文における「読者」は、大学の教員である。大学の教員は、「学問」を司る人間の一人として、少なくとも重要な言葉の定義と、主張の理由については、生徒の予想以上に厳しくツッコミを入れてくる。そういう意味で「小論文における読者は、きわめて残酷なのだ」ということを肝に銘じておくべきだ。

3-2 合格できる小論文とは、そういう「残酷な読者」に負けない文章のことである。そういう文章が書けるようになるためには、清書をする前に構想を練ったり下書きをする中で、「読者からのツッコミ」を徹底的に予想することが必要不可欠である。

3-2 しかし、読者からの厳しいツッコミは、実際に小論文を書いて添削してもらわないことには、なかなかわからないものである。ここに、他人に添削してもらうことの重要性がある。

 

 

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